トップページ > 先人たちからの伝承 > 災害伝承 > 石碑に刻まれた伝承・「教訓」

災害伝承 / 石碑に刻まれた伝承・「教訓」

以下、碑文の一部を抜粋して掲載しています。

[教訓1]

今後若シ強震鳴動アルカ
井水海水不時ニ差引スルガ如キ異状アル場合ハ
油断ナク高所ニ避難セラレンコトヲ

<洋野町>

[碑文]

明治二十九年旧五月五日午後八時強震鳴動アリ俄然大海嘯襲来セリ其ノ當時八木部落ノ戸数ハ三十三戸人口二百三十二アリ流失セシ戸数二十七戸流失ヲ免レタルハ僅ニ六尺又タ流失人員百二十三生存セシ者百九名海嘯ハ八木川上字上河原鐡糞畑地ニ達シ多數ノ家屋船舶ノ破片ハ漂着シタリ今後若シ強震鳴動アルカ井水海水不時ニ差引スルガ如キ異状アル場合ハ油断ナク高所ニ避難セラレンコトヲ生存者古老ノ實話ヲ聞キ後年ノ注意迄茲ニ記録ス
(一部の旧字を新字に改めています)

碑銘 二十三回忌
所在地 洋野町種市(八木)
対象津波 明治・昭和三陸地震津波
建立年月日 大正7年5月5日

国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手004より転載

http://www.thr.mlit.go.jp/road/sekihijouhou/

[教訓2]

津浪ハ往古ヨリ周期的ニ襲來スト聞ク
被害地住民ハ永ク此災禍ヲ追憶シ
宜シク向後ヲ警戒スルノ覺悟アルヲ要ス

<久慈市>

[碑文]

維持昭和八年三月三日舊二月八日午前三時四十八分突如強震アリ洋上遠ク
爆音ヲ聞キシヨリ僅ニ半刻ノ後天ヲ摩スル怒濤閃光ヲ帶ビテ陸岸ヲ襲ヒ一時ニ
テ幾多ノ生霊ヲ奪ヒ財寶ヲ攫フ其ノ惨状言語ニ絶ス
天聽ニ達シ畏クモ勅使ヲ差遣ハサレ救恤ノ資ヲ賜フ
天恩洪大眞ニ感ニ堪ヘス我縣官民協力一致シテ克ク其ノ救護ニ仕シ孜々トシテ復興ニカノ全國
朝野ノ同情亦翕然トシテ周聚リ以テ罹災民ノ飢寒ヲ救ヒ舊容ヲ復スルヲ得タリ
津浪ハ往古ヨリ周期的ニ襲來スト聞ク被害地住民ハ永ク此災禍ヲ追憶シ宜シク向後ヲ警戒スルノ覺悟アルヲ要ス

碑銘 昭和八年津浪記念碑
所在地 久慈市宇部町(小袖)
対象津波 昭和三陸地震津波
建立年月日 昭和9年3月3日

国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手016より転載

http://www.thr.mlit.go.jp/road/sekihijouhou/

[教訓3]

地震がなくとも潮汐が異常に退いたら津波が来るから
早く高い所に避難せよ

<宮古市>

碑銘 1960年5月24日 チリ地震津波記念碑
所在地 宮古市日立浜町
対象津波 チリ地震津波
建立年月日 不明

国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手058より転載

http://www.thr.mlit.go.jp/road/sekihijouhou/

[教訓4]

高き住居は 児孫の和楽
想へ惨禍の 大津浪
此処より下に 家を建てるな

<宮古市>

[碑文]

明治廿九年にも昭和八年にも
津浪は此処まで来て部落は全滅し
生存者僅かに前に二人後に四人のみ
幾歳経るとも要心おせ

碑銘 大津浪記念碑
所在地 宮古市重茂(姉吉)
対象津波 明治・昭和三陸地震津波
建立年月日 不明

国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手077より転載

http://www.thr.mlit.go.jp/road/sekihijouhou/

[教訓5]

  • 一 大地震の後には津波が來る
  • 一 地震があったら高い所へ集まれ
  • 一 津浪に追はれたら何處でも此所位の高い処へ
  • 一 遠くへ逃げては津浪に追付かる
    近くの高い所を用意して置け
  • 一 縣指定の住宅適地より低い所へ家を建てるな

<山田町>

[碑文]

昭和八年三月三日午前二時三十分上下ニ動揺スル強震アリ
續イテ三時頃ヨリ大音響ト共ニ大津浪ノ襲來アリ
浪ノ髙十米三時十分頃最モ被害アリ被害戸数舩越區流失ニ十三戸半潰一戸死者三名
田ノ濱區流失百八十三戸半潰二戸床上浸水十一戸死者二名
大浦區流失五戸半潰十四戸床上浸水十六戸ナリ

碑銘 大海嘯記念
所在地 山田町船越
対象津波 昭和三陸地震津波
建立年月日 昭和5年9月

国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手092より転載

http://www.thr.mlit.go.jp/road/sekihijouhou/

[教訓6]

凡そ人類には健忘性がある
後昆此の碑を見聞する者深く警誡して忘却せざるよう
余の切に願ふ所である

<釜石市>

[碑文]

顧みるに三陸大海嘯の大悲惨事は明治廿二十九丙申年旧端午の宵と昭和八癸酉年新雛祭節句の未明との恐る可き二大突発事件であった先住智賢和尚撰書の丙申海嘯溺没者碑に依れば
下平田は全戸数五十三軒中流潰四十一人口四百人中溺死者男卅五女四十五馬二三牛五頭流潰船十八艘製塩所二棟潮波高サ四丈南ハ仁田代口西ハ興平ケ鼻北ハ狼ケ洞ニ達シ松ケ鼻ノ恵比壽岩一二丈ノ物怒涛ニ劈倒セラル海嘯ノ猛烈ナルヲ推知セヨ釜石全湾ノ被害ハ筆舌二尽シ難シ惨日何事
カ之ニ如カンヤ之ヲ以テ遺族相謀リ碑ヲ建テ以テ災死者精霊ノ菩提營マント欲ス、、、(明治卅五年三月十五日建立之)、、、
全戸数五十三軒中流潰四十一人口四百人中溺死者男卅五女四十五馬二三牛五頭流潰船十八艘製塩所二棟潮波高サ四丈南ハ仁田代口西ハ興平ケ鼻北ハ狼ケ洞ニ達シ松ケ鼻ノ恵比壽岩一二丈ノ物怒涛ニ劈倒セラル海嘯ノ猛烈ナルヲ推知セヨ釜石全湾ノ被害ハ筆舌二尽シ難シ惨日何事 カ之ニ如カンヤ之ヲ以テ遺族相謀リ碑ヲ建テ以テ災死者精霊ノ菩提營マント欲ス、、、(明治卅五年三月十五日建立之)、、、

と述べてあるが遺憾乍ら自然石は風化破壊して修理手におえず有志相計りて之を再建せんと欲し余に撰文を乞ふ併せて癸酉海嘯の記事を追加し海嘯記念碑と題し追弔及び警句の意を兼ねる事とす 癸酉 海嘯は下閉伊郡田老と氣仙郡本郷とは被害最大であったが釜石は人畜の被害軽く死者四十人其中平田一人丈け固より家財の被害は甚大だったが下平田は倒壊流失家屋十七戸不幸中の幸と申すべし委細は海嘯史に譲る凡そ人類には健忘性がある後昆此の碑を見聞する者深く警誡して忘却せざるよう余の切に願ふ所である

碑銘 海嘯記念碑
所在地 釜石市大字平田
対象津波 明治・昭和三陸地震津波
建立年月日 昭和32年11月

国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手128より転載

http://www.thr.mlit.go.jp/road/sekihijouhou/

[教訓7]

  • 一、想起せ昭和八年三月三日
  • 二、大地震の後には津波に注意せよ
  • 三、三四十年に一度は津波が来るものと思へ
  • 四、急に潮が引いたら警鐘ならせ
  • 五、警鐘聞いたら高い所に

<大船渡市>

碑銘 津波記念碑
所在地 大船渡市大船渡町字富沢
対象津波 昭和三陸地震津波
建立年月日 昭和9年3月3日

国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手159より転載

http://www.thr.mlit.go.jp/road/sekihijouhou/

[教訓8]

  • 一、不時の津浪に不断の用心
  • 一、地震の後どんと鳴ったら津浪と思へ
  • 一、地震の後潮が退いたら警鐘を打て
  • 一、大津浪三四十年後に又來る
  • 一、津浪來たなら直ぐ逃げろ
  • 一、金品より生命

<陸前高田市>

碑銘 津波記念碑
所在地 陸前高田市気仙町字湊
対象津波 昭和三陸地震津波
建立年月日 昭和9年3月

国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手223より転載

http://www.thr.mlit.go.jp/road/sekihijouhou/