以下、碑文の一部を抜粋して掲載しています。
午前三時五分俄然大海嘯襲來堀込畑マデ浸水多数ノ人命ヲ損ジタリ
今八木区ノ被害ヲ調査セルニ漁舟三十三隻発動機船六隻死傷六十四名
流水家屋四十戸其他倉庫耕地等ノ損害甚大ヲ極メタリ
<洋野町>
[碑文]
昭和八年三月三日午前二時半強震アリ区民皆驚愕シテ離床警戒セルモ異状無カリシ為再ビ寝ニ就キシニ午前三時五分俄然大海嘯襲來堀込畑マデ浸水多数ノ人命ヲ損ジタリ今八木区ノ被害ヲ調査セルニ漁舟三十三隻発動機船六隻死傷六十四名流水家屋四十戸其他倉庫耕地等ノ損害甚大ヲ極メタリ依テ今後強震ニ際シテハ必ラズ津浪ノ襲來ヲ豫想シテ警戒ノ要アルヲ後世ノ人士ニ告グ
(一部の旧字を新字に改めています)
碑銘 | 二十三回忌 |
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所在地 | 洋野町種市(八木) |
対象津波 | 明治・昭和三陸地震津波 |
建立年月日 | 大正7年5月5日 |
国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手004より転載
過去において当市に襲来した記録は十八回に及び
特に明治二十九年、昭和八年は死者総数五三八人負傷者二百六十七人
家屋流失一八五戸を数え想起するだに慄然たるものがある
<久慈市>
[碑文]
自然界における災害のなかで津波ほど悲惨なものはない 過去において当市に襲来した記録は十八回に及び特に明治二十九年、昭和八年は死者総数五三八人負傷者二百六十七人家屋流失一八五戸を数え想起するだに慄然たるものがある
市は悲惨なる災害から市民を護るため昭和三十八年防浪堤を構築した
碑銘 | 津波記念碑 |
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所在地 | 久慈市湊町 |
対象津波 | 明治・昭和三陸地震津波 |
建立年月日 | 昭和46年5月 |
国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手012より転載
(イ)
明治29年6月15日(陰暦5月5日)に発生した津波はわが国史上に於ける最大級の津波であった
本村の被害は死亡行方不明者1,010人流失倒壊家屋258戸
船舶の流失破損等被害甚大であった
(岩手県土木課取纏めの災害土木誌参照)
(ロ)
昭和8年3月3日午前2時30分頃釜石市の東方約140kmの地点で
發生した大地震により約40分后襲来した津波による惨害は言語に絶するものであった
本村の死亡行方不明者137人(中央気象台発行津波報告による)
家屋の流失倒壞は201戸(三陸津波被害復興計画報告書による)
其他船舶の流失破損被害甚大
(昭和59年5月8日普代水門竣工を記念し建之)
<普代村>
碑銘 | 津波防災之碑 |
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所在地 | 普代村(普代) |
対象津波 | 明治・昭和三陸地震津波 |
建立年月日 | 昭和59年5月8日 |
国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手021より転載
昭和八年三月三日午前二時三十八分上下ニ動揺スル強震アリ
續イテ三時頃ヨリ大音響ト共ニ津浪ノ襲來アリ
波浪ノ高サ約三米ヨリ八米本村ノ流失戸数百二十三戸倒潰四戸溺死者百三名
<田野畑村>
碑銘 | 昭和八年津浪記念碑 |
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所在地 | 田野畑村羅賀(平井賀) |
対象津波 | 昭和三陸地震津波 |
建立年月日 | 昭和9年3月 |
囶土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手026より転載
昭和八年三月三日午前二時三十分上下ニ動揺スル強震アリ
續イテ三時十分頃ヨリ大音響ト共ニ大津浪ノ襲來アリ
最高波浪小本二十五尺茂師四十尺餘
本村ノ流失戸數九十三戸溺死者百五十六名負傷者三十二名損害見積額五十四万二千餘圓
<岩泉町>
碑銘 | 三陸大海嘯記念 |
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所在地 | 岩泉町小本 |
対象津波 | 昭和三陸地震津波 |
建立年月日 | 昭和9年3月 |
国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手032より転載
此日陰暗憺時々
雨至於薄暮感羽震数回後遥聞如段々遠来異響
人皆怔之偶数大洪濤宛如疾風激来迨両回破砕
家屋斃人畜頗極惨矣本村其害最甚者為高浜金
浜二区及磯鶏区内石崎飛鳥方神林白浜四所流
失家屋百廿一戸死者九十六名
海嘯区域南自陸前石港北至陸奥北郡奪生霊殆三萬可謂極悲惨矣
<宮古市>
[碑文意訳]
端午の節句で祝宴を挙げている最中、突如発生した津波により巷は阿鼻叫喚、修羅の場と化した。明治29年6月15日の津波の無惨な光景をここに記す。
その日は薄暗く雨が降っていたが、数回の地震の後に遠雷のような異音が響き、皆がぼんやりしている所に2回の大洪水と激しい風が襲来してきた。家屋の倒壊や人畜の被害は凄まじく、本村では高浜、金浜、磯鶏石崎・飛鳥・方神林・白浜で流失家屋121戸、死者96名の被害を出した。
津波の被害は陸前から陸奥北郡まで及び三万の生霊を奪うなど、悲惨を極めたものであった。ここに七年忌を記念して、磯鶏区民一同及び愛友団員は記念碑を建設し後世に伝えるものである。
碑銘 | 海嘯記念碑 |
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所在地 | 宮古市藤原 |
対象津波 | 明治三陸地震津波 |
建立年月日 | 明治35年5月 |
国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手063より転載
昭和八年三月三日午前二時三十分上下ニ動揺スル強震アリ
續イテ三時頃ヨリ大音響ト共ニ大津浪ノ襲來アリ
浪ノ髙十米三時十分頃最モ被害アリ
被害戸数舩越區流失ニ十三戸半潰一戸死者三名
田ノ濱區流失百八十三戸半潰二戸床上浸水十一戸死者二名
大浦區流失五戸半潰十四戸床上浸水十六戸ナリ
<山田町>
碑銘 | 大海嘯記念 |
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所在地 | 山田町船越 |
対象津波 | 昭和三陸地震津波 |
建立年月日 | 昭和9年5月 |
国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手092より転載
昭和三十五年五月二十四日四時五十分襲来した津波は
南米チリで起きた地震によるものであって、
突如4mの波高で数回に亘って押し寄せ、家屋の倒壊流失、
半壊267戸、浸水984戸を数える他、
道路、堤防、橋梁、桟橋、漁業施設、浅海養殖、漁船、商工業、
資材農地等に甚大な被害を与え、被害総額九億九千四百万円に達した。
<大槌町>
碑銘 | 昭和三十五年五月二十四日津浪災害記念碑 |
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所在地 | 大槌町安渡 |
対象津波 | チリ地震津波 |
建立年月日 | 昭和35年12月24日 |
国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手102より転載
下平田ハ全戸数五十三軒中流潰四十一
人口四百人中溺死者男卅五女四十五
馬二三牛五頭 流潰船十八艘
製塩所二棟 潮波高サ四丈 南ハ仁田代口西ハ興平ケ鼻北ハ狼ケ洞ニ達シ
松ケ鼻ノ恵比壽岩一二丈ノ物怒涛ニ劈倒セラル 海嘯ノ猛烈ナルヲ推知セヨ
釜石全湾ノ被害ハ筆舌二尽シ難シ
<釜石市>
[碑文]
顧みるに三陸大海嘯の大悲惨事は明治廿二十九丙申年旧端午の宵と昭和八癸酉年新雛祭節句の未明との恐る可き二大突発事件であった先住智賢和尚撰書の丙申海嘯溺没者碑に依れば
下平田は全戸数五十三軒中流潰四十一人口四百人中溺死者男卅五女四十五馬二三牛五頭流潰船十八艘製塩所二棟潮波高サ四丈南ハ仁田代口西ハ興平ケ鼻北ハ狼ケ洞ニ達シ松ケ鼻ノ恵比壽岩一二丈ノ物怒涛ニ劈倒セラル海嘯ノ猛烈ナルヲ推知セヨ釜石全湾ノ被害ハ筆舌二尽シ難シ惨日何事カ之ニ如カンヤ之ヲ以テ遺族相謀リ碑ヲ建テ以テ災死者精霊ノ菩提營マント欲ス、、、(明治卅五年三月十五日建立之)、、、
と述べてあるが遺憾乍ら自然石は風化破壊して修理手におえず有志相計りて之を再建せんと欲し余に撰文を乞ふ併せて癸酉海嘯の記事を追加し海嘯記念碑と題し追弔及び警句の意を兼ねる事とす
癸酉 海嘯は下閉伊郡田老と氣仙郡本郷とは被害最大であったが釜石は人畜の被害軽く死者四十人其中平田一人丈け固より家財の被害は甚大だったが下平田は倒壊流失家屋十七戸不幸中の幸と申すべし委細は海嘯史に譲る凡そ人類には健忘性がある後昆此の碑を見聞する者深く警誡して忘却せざるよう余の切に願ふ所である
碑銘 | 海嘯記念碑 |
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所在地 | 釜石市大字平田 |
対象津波 | 明治・昭和三陸地震津波 |
建立年月日 | 昭和32年11月 |
国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手128より転載
赤崎村の津波被害 明治廿九年六月十五日
溺死者 四五七名 被害戸數二二八戸
昭和八年三月三日 溺死者 八一名
被害戸數二一二戸
<大船渡市>
碑銘 | 津波記念碑 |
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所在地 | 大船渡市赤崎町字跡浜 |
対象津波 | 明治・昭和三陸地震津波 |
建立年月日 | 昭和10年3月 |
国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手153より転載
昭和八年三月三日午前二時三十分地震フコト約三分
續テ海ニ爆音アリ後三十分許ニシテ激浪狂波地ヲ巻テ來り
本港部落亦殆ント全滅ノ災ニ罹り
倒潰家屋五十四戸
死者三十二名傷者二十名ニ及ヒ
死體旁午梁棟狼籍風為メニ咽ヒ氣為メニ腥シ矣
<陸前高田市>
[碑文]
昭和八年三月三日午前二時三十分地震フコト約三分續テ海ニ爆音アリ後三十分許ニシテ激浪狂波地ヲ巻テ來り本港部落亦殆ント全滅ノ災ニ罹り倒潰家屋五十四戸死者三十二名傷者二十名ニ及ヒ死體旁午梁棟狼籍風為メニ咽ヒ氣為メニ腥シ矣而シテ災後生存民ハ尚斯ノ地ヲ去ラス明治二十九年及這般災厄當時ニ於ケル波浪ノ状況ニ鑑ミ工費二萬數千圓ヲ投シ五千五百坪ノ地區新ニ土ヲ盛ルコト髙約九尺東南端ニ石堤ヲ築キ其ノ南側一帯ヲ緩衝地ニ充テ以テ綢繆ノ計ヲ成シ以テ安住ノ地ヲ定ム
碑銘 | 津浪記念碑 |
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所在地 | 陸前高田市気仙町字湊 |
対象津波 | 昭和三陸地震津波 |
建立年月日 | 昭和9年3月 |
国土交通省東北地方整備局道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」
岩手223より転載