トップページ > 復興の軌跡

復興の軌跡

三陸地域を襲った過去の主な地震津波

869年(貞観11年) 貞観の三陸沖地震

869年7月13日(貞観11年5月26日) 38.5°N 144°E M8.3 Mw8.4
三陸沿岸:『貞観の三陸沖地震』:城郭・倉庫・門櫓・垣壁など崩れ落ち倒潰するもの無数。津波が多賀城下を襲い、溺死約1千。流光昼のごとく隠映すという。三陸沖の巨大地震とみられる。Mwは津波堆積物の調査による。

出典:『平成26年理科年表』国立天文台編(日本付近のおもな被害地震年代表)

1611年(慶長16年) 慶長三陸地震津波

1677年(延宝5年) 延宝の津波

1793年(寛政5年) 寛政5年の津波

1856年(安政3年) 安政3年の津波

1896年(明治29年)6月15日 明治三陸地震津波

1896年(明治29年)6月15日午後7時32分、釜石東方沖を震源地とするマグニチュード7.6の地震が発生。津波によって死者1万8,158人、流出倒壊家屋6,882戸などの大被害が発生しました。中でも釜石地区の被害がひどく、人口約6,500人の釜石町(当時)で死者4,000人以上、流出全壊家屋は約900戸(当時の全戸数は約1,100戸)という甚大な被害を受けました。また吉浜(大船渡市三陸町)では最大波高24.4メートルを記録しています。

● 岩手公報(岩手日報の前身)

● 風俗画報

1889年(明治22年)創刊の日本初のグラフィック雑誌で、版元は東京の東陽堂。第108号~第120号は、明治三陸地震津波を特集。

1933年(昭和8年)3月3日 昭和三陸地震津波

1933年(昭和8年)3月3日午前2時31分、釜石東方沖を震源地とするマグニチュード8.3の地震が発生、宮古では震度5を記録しました。津波は明治29年に次ぐ大きな被害をもたらし、死者1,408人、行方不明者1,263人、流出倒壊家屋5,435戸。中でも田老村(当時)では500戸あまりの全戸数のうち高台の10数戸を残しただけで、死者・行方不明者も1,000人あまりの大災害となりました。

● 岩手日報

1960年(昭和35年)5月24日 チリ地震津波

1960年(昭和35年)5月23日午前4時11分(日本時間)、南米・チリ中部沿岸に大地震が発生し、地球の裏側からおよそ22時間30分から23時間かけて太平洋を横断した津波が日本の太平洋沿岸を襲いました。最大波は翌24日の午前5時から8時に発生、野田湾や広田湾では6メートル以上に達しました。県内の死者は55人、行方不明者6人、流出家屋は472戸、全半壊は1,511戸、床上・床下浸水は4,653戸に達しました。

● 岩手日報

※慶長から安政までの各地震津波の参考URL
国立研究開発法人 防災科学技術研究所 自然災害情報室 「三陸地方の津波災害」
http://dil.bosai.go.jp/disaster/2011eq311/sanrikuhistory.html